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□ 「けし坊主」と「いざり峠」報告・タキタ (1/29 23:01) #1004
 ├ 誤記修正・タキタ (1/29 23:10) #1005
 ├ 「けし坊主」伝承(徳島県)・タキタ (1/30 00:06) #1006
 │├ 「徳島新聞」不採用投稿・タキタ (2/22 03:56) #1086
 ││└ 「へんろ」と「へんど」・タキタ (2/22 05:28) #1087
 │└ 「讃岐・阿波・伊予の妖怪」・412241 (2/23 19:17) #1095
 │ └ Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」・タキタ (2/24 21:51) #1097
 │  └ Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」・佐々木 (2/25 12:50) #1098
 │   └ Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」・タキタ (2/25 23:11) #1099
 ├ まったくです。・Q (2/2 23:08) #1023
 ├ 『祖谷山民俗誌』・タキタ (2/22 22:58) #1092
 └ 『東祖谷山村誌』 ・タキタ (3/3 23:43) #1115


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#1004「けし坊主」と「いざり峠」報告タキタ mail home1/29 23:01

(報告)
●妖怪「ケシボウズ」は、『にっぽん妖怪地図』(阿部正路・千葉幹夫著、角川書店、平成8年刊)や「妖怪の本」(学研、平成11年刊)でも、徳島県の妖怪として、たとえば「こなきじじい」「山父」と並び紹介されています。
ところが、この「ケシボウズ」は、徳島県ではまったく知られていないに等しいのです。
この妖怪を全国に紹介したのは、「こなきじじい」発見者でもある武田明で、ほとんどの東京で発行される書籍に登場する「ケシボウズ」は武田明の『祖谷山民俗誌』(昭和30年?)からの引用や孫引きでしかないのです。
徳島県の三好郡東祖谷山村の、西山という一集落に伝わるだけの「ケシボウズ」は、武田明により徳島県を代表する妖怪となっているわけです。
最近では、「ケシボウズ」は、伝承集『ひがしいやの民俗』(平成2年、東祖谷山村教育委員会発行)にも掲載されています。
東祖谷山村の村誌もありますが、村誌の民俗部門を武田氏が記述しているので、それにも「ケシボウズ」は登場します。そこには、「ケシボウズ」が出るので彦四郎谷へは行ってはいけないと記載されています。しかし、実際には、西山集落から彦四郎谷に向かう車道もできています。また、彦四郎谷には砂防ダムが多くできていて武田取材のころ(昭和9年〜昭和30年の間)とは違っています。

武田明の報告は、東祖谷山村の西山集落から少々入ったところの彦四郎
谷というところに「ケシボウズ」が出るというものです。
赤子の妖怪。頭の上毛を置いて下毛を剃った姿。これがギャアギャアと泣きながら出て来る。ということぐらいしか紹介していません。
『ひがしいやの民俗』には、「いざり峠のけし坊主(其の一)」「いざり峠のけし坊主(其の二)」の項に「ケシボウズ」は登場します。
いわば武田明以外では唯一に近い「ケシボウズ」の記載です。
『ひがしいやの民俗』の記載では、「ケシボウズ」はいざり峠に出没します。
西山集落から彦四郎谷を経由し天狗塚(という名の山)に向かう途中にある峠が「いざり峠」です。その昔、巨人が峠を越えようとしたときに、天の頭がつかえて通れないために、いざって(ひざやしりを地につけて)通ったという伝承から名づけられています。

●「徳島新聞」(平成12年1月29日)は以下の記事を掲載しています。
大見出し「『躄峠』の名消える・東祖谷山」
中見出し「差別的表現の恐れ」
小見出し「国土地理院・『天狗峠』に変更」
小見出し「登山者ら・『由来関係なく残念』」
リード文「建設省国土地理院が発行した最新の地図から、三好郡東祖谷山村にある『躄(いざり)峠』(標高1780メートル)の名が消えた。『躄』の文字が差別的な言葉に当たるとして、国土地理院が村の同意を得て『天狗(てんぐ)峠』に変更したためだ。しかし、躄峠の名称は、差別とは全く関係ない由来により名付けられたとされているだけに、ハイカーらの間からは、親しまれてきた峠名が地図から消えたことを残念がる声も出ている。」
本文「(前略)躄にはひざやしりを地につけて進むという意味のほかに、足の不自由な人を指す意味もある。このため国土地理院は99年に全国の地名を販売用CD(コンパクトディスク)に収める目的で地名を収集した際、躄の字が差別的表現に当たる恐れがあるとして削除を決め、東祖谷山村の同意を得た。村はかわりの峠名として『天狗峠』を提案。これを受けて国土地理院は、99年7月に発行した二万五千分の一の地図を天狗峠に変更した。新名称について、村観光課は『近くに天狗塚があるので、その名をもらった』と言う。だが『東祖谷山村誌』や『日本山名辞典』(三省堂)、登山案内書、道路の案内標識などには躄峠と記載されているため、混乱も心配されている。国土地理院四国地方測量部は『躄峠が差別的な言葉として指摘を受けた訳ではないが、見直すのが適切だと判断した』と話している。(中略)徳島大学学士山岳会名誉会長の渡部孝(79)も『躄峠はかつて尾根道を行き来した人の交通の要所として由緒がある。差別とはなんの関係もないだけに、名称を
簡単に代えるべきでないのか』と首をかしげている。」

※この記事によると、国土地理院は人権擁護団体等からの指摘もないままに勝手な判断で改名を東祖谷山村に働きかけた訳です。
こういう問題は専門の研究機関や運動団体や有識者の判断をあおぐべき性格のものですが、「差別的な言葉として指摘を受けた訳ではない」にもかかわらず、シロウト判断で改名を行うというのは困ったものです。
この指摘もされていないことを、シロウト判断で行うというのは、かつてのテレビ局などのトンチンカンな「言い換え集」同様です。
結局は、各種の反差別の運動団体や人権団体が何を問題として、どういう理念で「差別表現」を問題としてとらえて運動をしていたのかということへの理解を、「言葉」の言い換えで回避し、いまだに何が問題とされていたのかを理解していないマスコミ関係者や分筆家がいることをみれば理解できますでしょう。(報道や分筆業以外の人々も同様ですが……)

「怪」の最新号での書籍紹介で、「片輪車」が「片車輪」となっていることを指摘している文章がありますが、この文章の記述者なども自覚がないのでしょうね。
ただでさえ一眼や一脚の妖怪など、人間の身体障害者を連想させる部分もある妖怪たちがビジュアルとして登場する妖怪文化が人権擁護団体から問題視されなかったのは、戦後の妖怪文化の立役者の水木しげるさんが、戦時中の負傷による、いわば「名誉の負傷」による「身体障害者」であるということと、日本社会党の支持者(現在のことは私は知りません)であるということ(多くの人権団体は日本社会党とは親しかった)、以上の三つの理由にあると推測されます。

この水木さんがリーダーであったがゆえに、妖怪文化は各種の人権擁護団体から問題視されず日本文化に定着したのでしょう。
したがって、水木しげるが定着させた妖怪文化を愛でる我々は、「人権」に対する節度ある態度を自らに持つべきでしょう。

ところで、東祖谷山村の「いざり峠」報告は「徳島新聞」の記事からのものですが、ずいぶんと変更から時間が経ってからの報道だと呆れます。名称がどう落ち着くかは不明ですが、「ケシボウズ」探索のときには地図を見て迷わないでください。

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#1005誤記修正タキタ mail home1/29 23:10
#1004
(中略)徳島大学学士山岳会名誉会長の渡部孝(79)も『躄峠はかつて尾根道を行き来した人の交通の要所として由緒がある。差別とはなんの関係もないだけに、名称を簡単に代えるべきでないのか』と首をかしげている。」

以上の部分は、以下が正しいです。

(中略)徳島大学学士山岳会名誉会長の渡部孝(79)も『躄峠はかつて尾根道を行き来した人の交通の要所として由緒がある。差別とはなんの関係もないだけに、名称を簡単に代えるべきでないのではないか』と首をかしげている。」

渡部孝さん申し訳ありませんでした。

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#1006「けし坊主」伝承(徳島県)タキタ mail home1/30 00:06
#1004
名前と武田明の記述の引用と孫引きしか東京では紹介されない妖怪「ケシボウズ」の伝承を、この機会に要約して紹介します。『ひがしいやの民俗』(東祖谷山村教育委員会、平成2年刊)からのものです。

●「いざり峠のけし坊主(その一)」
昔、西山(集落の名)のいざり峠に「おけし坊主」というのが居た。4歳くらいの年齢の子供らしい。
ときどき道に現れては通行人に「抱いておくれ」とか「背中に背負ってくれ」とせがんだという。
ところが、背負うと重い。とても背負いきれない。
「負縄(おいなわ)が短いきに、いんで長い負縄を持ってくるわ」(背負い縄が短いから、帰って長い背負い縄を持っている)と言って逃げ帰ったので難をのがれた者もあるらしい。
負縄の一方がいまでも短いのはそのためだそうだ。

●「いざり峠のけし坊主(その二)」
昔、信義さんというひとが、いざり峠の山の下の栃の木のあるところでスゲ草を採っていると、突然に草むらから3〜4歳くらいの小さな女の子の「おけし坊主」が現われた。
信義さんは、びっくりして逃げ帰り、(一番近くの)切上伊右衛門(きりがみ・いよもん)さん宅に駆け込み、このことを話した。その後、何日もたたないうちに信義さんは亡くなった。


※「(その一)」は、まるで「オギャナキ」(「こなきじじい」の異名らしい妖怪)そっくりに「おんぶ」と「重くなる」「負い縄」が登場します。この話を伝える人は、四国放送の報道番組で1999年8月に流れた「妖怪こなきじじい伝説」で、対「オギャナキ」の負い縄の使用法を実演してくれている西岡ノブ子(昭和8年生まれです)さんです。
西山にも「オギャナキ」は伝わっています。

「(その二)」は、大正2年生まれの西山の女性の伝える伝承です。というか、昭和2年の、この事件を同時代で知る人です。高熱を出して一週間ほど寝込まれて信義さんは亡くなられたと言います。

これらに、武田記載を含めたものが、「ケシボウズ」の活字化されている伝承の全てと考えても、まず、間違い無いようです。

東京あたりの学者が他の「ケシボウズ」伝承も紹介している例があれば御一報ください。







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#1086「徳島新聞」不採用投稿タキタ mail home2/22 03:56
#1006
●以下の文章は、東祖谷山村と国土地理院に実状を確認し、国土地理院には新聞に投稿するので新聞紙上での回答をお願いしますとことわりを事前に入れ、「徳島新聞」の読者の投稿欄に投稿したものですが、本日に至るも「徳島新聞」でのこの投稿文章の掲載が無いのでここに報告します。
(注)主旨は国土地理院には事前には伝えましたが、文章そのものは国土地理院には送っていません。「事前に取材とお報せをするのは、『やらせ』を期待している訳ではありません。よろしく」と国土地理院には伝えてあります。

● 多くの徳島県民には初耳でしょう。国学院大学の阿部正路教授が徳島を代表する妖怪として「子泣き爺」「山父」「けし坊主」を全国紹介しています。「けし坊主」は東祖谷山村の彦四郎谷とイザリ峠の伝承です。
このイザリ峠の名を国土地理院が東祖谷山村に要請し天狗峠へと変更したと、先日「徳島新聞」が報道しました。
人権団体からの要請による変更ではなく、国土地理院の自発的判断です。
「いざり」には「足の立たない身体障害者」の意味と「すわったままひざで進む。幼児などが尻をつけたまま進む」という意味の動詞があります。
巨人が峠越えのときに天に頭がつかえ、はって進んだという意味の峠名が、前者と解釈される可能性があるという発想からの今回の変更です。
しかし、国土地理院は地図造りのプロではあっても、人権については「素人」です。人権問題にかかわると推測した場合には人権に関する学識者や人権団体等の有識層に意見を求めるべきでしょう。

●この、投稿前の国土地理院との電話での会話では、国土地理院側が徳島方言には通じていないことが判明しました。あるいは、真言宗の高野山との確認作業を国土地理院が行い、さらに多数の徳島県内山間部の地名が変更される可能性があります。「やぶへび」だったと反省もしています。

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#1087「へんろ」と「へんど」タキタ mail home2/22 05:28
#1086
●国土地理院内部には人権問題を審議するに値する有識者を有した部署はない。
●ところで、四国では、四国遍路(しこく・へんろ)を指す言葉として「へんろ」というものと「へんど」というものがある。
「へんろ」に関しては、単純にいえば巡礼である。一方の「へんど」に関しても巡礼である。
ところで、高野山の説明では、通常の観光や信心などで四国八十八ヶ所を回っているのが「へんろ」であるが、4人ほど「へんど」として誠の信心から四国八十八ヶ所を回っている人もいる。したがって、軽度の信心で回っている人を「へんろ」、まさしく重度の信心から回っている人を「へんど」というが、「へんど」と呼ぶに値する人は少なくなったとのことである。(約10年ほど前の高野山の話より)
ところで、人権感覚や人倫というのは、子供でも大人でもそれなりの精神年齢に達しなくては生じないものだが、この「へんろ」と「へんど」の区別がつかない老若男女が四国には多い。
観光バスなどで回っているのではなく正しく徒歩で四国八十八ヶ所を回っている人々を、「へんろ」「へんど」ではなく、「乞食」だと解釈する人々も多いのである。
いかに、弘法大師が偉大でも、四国の大衆の教化には失敗したようである。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、「弘法を読まず弘法を知らず」「寺回りすれば良し」という「仏作って魂入れず」が多くの近隣住民だ。
したがって、一部の心有る人々以外には弘法大師の教えは理解されてもいないし、学ばれてもいない。
こうした中で、あちこちに「へんど墓」や「へんど谷」という地名がある。「四国遍路が亡くなったところか?」と問えば、「乞食が死んだところ」という。
「へんど」には「へんろ」の意味と乞食の意味があるのである。しかし、観光遍路でなく、まさしく信心から何度も八十八ヶ所を回れば、食を乞わねばならず、金を乞わねばならない。衣服とてボロボロになる。当然のことである。これを「乞食」とみなす心の貧しさが四国にはある。
おっちょこちょいの国土地理院は、これらの「へんど」の地名を、次には変更するのであろう。
おっちょこちょいでも中央官庁の国土地理院。「変更が望ましい。変わる名の検討を」と各自治体に要請していくのであろう。
中央官庁様の要望に逆らうとどんなひどい目に今後あわされるのか想像もできない各自治体内の有識層も、内心では「阿呆が馬鹿を言っている」と思っても、事実上したがわざるを得ないのである。
「馬鹿に権力」という表現は、国土地理院のためにもある表現のようだ。
事実、「イザリ峠」に関しても、「地元の要請で変更した」という答弁を国土地理院は当初に行ったが、すぐに「国土地理院から『変更してくれ、新しい名を東祖谷山村側で考えてくれ』と要請した」と事実関係の説明を訂正しなければならなかった。
地方自治体に対しては、自分達が権力の側であるという自覚が国土地理院には無いようである。

●あーあ。「徳島新聞」が掲載し、新聞紙上で国土地理院が回答していればここまで書かれなかったのだと判断するのだが……
とにかく、後世の史家のために残さねばということからの記載です。

誤字・脱字はご容赦願います。




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#1095「讃岐・阿波・伊予の妖怪」412241 2/23 19:17
#1006
「自然と文化」(1984年秋号)所載の『讃岐・阿波・伊予の妖怪』(武田明)

◎山の妖怪<ケシボウズ>
徳島県の東祖谷山村と言えば剣山麓の山深いところである。自動車の通る道は谷川に沿ってうねうねとつづいているが、集落のほとんどは山腹にへばりついたように散らばっている。東祖谷の西山というところはそんな村だ。もちろん車などが入ることができるのは集落の入口近くだけである。
集落から離れてやや高みに彦四郎谷というおそろしい淵がある。樹木が生い茂ってうっそうと暗く人は誰も近よろうとはしない。何でも昔彦四郎という侍が刀をさして編笠をかぶったままそこに入ったというのだ。ここにはケシボウズがたくさん出てくるという。赤子の妖怪でギャアギャアと泣きながら出てくる。ケシボウズとは頭の上毛をおいてまわりの下毛を剃ったものだという。


(参考)
併記されている妖怪たち

◎ヤマンバ(山姥)=伊予の宇和地方、讃岐の枌所(そぎしょ)、阿波三好郡の井内谷や西祖谷の山中、四国の山中のいたるところ。
◎ヤマジョロウ=阿波の西祖谷山村と三名村との境、阿波の東祖谷のキリダニ、伊予の山中。
◎オマンノハハ=讃岐の琴南町美合(ことなみちょう・みあい)の中熊(なかくま)。
◎ヌレオナゴ=伊予の怒和と二神。
◎笑いおなご=伊予の宇和。
◎ショウカラビー=讃岐の小豆島の神の浦(こうのうら)。
◎フナユウレイ=讃岐の丸亀の沖の手島(てしま)→岡山県の水島(みずしま)。
◎ヒチニンドウジ=讃岐。
◎ノツゴ=伊予の南宇和。
◎オギャーオギャーと鳴く妖怪=讃岐。
◎ゴンギャナキ=阿波の三好・美馬郡の山村。
◎クビキレウマ=阿波の吉野川の下流から讃岐の東にかけて。
◎ヤギョウサン=(同上?)
◎オショボ=香川県大川郡白鳥町。
◎ナンドババア=香川県の東部。
◎マクラコゾウ=東讃岐。

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#1097Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」タキタ mail home2/24 21:51
#1095
昭和59年(1984年)の『讃岐・阿波・伊予の妖怪』の「ケシボウズ」の記載は、相当昔に取材したものを当人が転載したようです。武田さんは、昭和9年(1934年)からこのあたりの祖谷地方には調査に入っていますが、昭和30年(1959年)の『祖谷山民俗誌』での「ケシボウズ」発表の時の取材後には現地(西山)を再訪していない可能性もあります。
したがって「東祖谷の西山というところはそんな村だ。もちろん車などが入ることができるのは集落の入口近くだけである」というのは大昔の話でして、西山では全国の山間部同様に自動車が住民の足です。基本的に全戸が自家用車を持っていますし自宅の庭先に駐車しています。
「集落から離れてやや高みに彦四郎谷というおそろしい淵がある。樹木が生い茂ってうっそうと暗く人は誰も近よろうとはしない」というのも変です。集落のもっとも奥地の家屋から自動車道を2キロほど行くと彦四郎谷を横切りますし、イザリ峠(最近テング峠と国土地理院が名称変更した)への登山口に迎えます。地元の人も彦四郎谷に釣りに行きます。

「ケシボウズ」を取材し全国発表した当人は、その後も平成期まで広範な祖谷山調査を300回以上繰り返し行っているのですが、同一集落にはよほどのことがないと再訪はしなかったようです。
祖谷地方研究の権威(?)でもある武田さんですらこの始末です。大昔の取材結果を追調査せずに、いつまでも自動車が入れないなどと記載されては困るなあ。全国の読者が本気にしてしまいますです。

きっと、現役の他の学者や民俗学研究家の文章でも、こういうかつての現地調査での見聞を取材年度未記載で何十年たっても記載し続けているのだろうなあと推測します。

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#1098Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」佐々木 home2/25 12:50
#1097
そ〜なんですよね〜。孫引きの文献って、原典を調べたら間違ってたり、現地に行ってみたら地名とか違ってたり。でも現地に行ったら行ったでその伝承を知ってる(覚えてる)人がいなかったり。

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#1099Re:「讃岐・阿波・伊予の妖怪」タキタ mail home2/25 23:11
#1098
まったくです。
ところが、「ケシボウズ」の場合は、「発見者」の武田先生が、自分自身の昔の記載を自分でそのまま引いておりまして。こういうのも、読者としては困ってしまいます。こういうのって、取材年月を書くという業界(学会?)の風習ってないのかなあ?と疑問を持ちます。

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#1023まったくです。2/2 23:08
#1004
まったく、水木さんのおかげです。
ところで、「妖怪の本」(学研・1999年)によれば安部正路さんの紹介する徳島三大妖怪でもある「ケシボウズ」は、わずか三つの伝承だけしか活字になっていない稀少妖怪なんですね!
朱鷺(とき)のようなものですね。

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#1092『祖谷山民俗誌』タキタ mail home2/22 22:58
#1004
●『祖谷山民俗誌』(武田明、昭和三十年発行)
○ケシボウズ(全文)
 東祖谷西山の彦四郎谷へ行くとケシボウズがたくさん出て来る。ケシボウズは赤子の妖怪で、頭の上毛を置いて下毛を剃ったものである。これがギャアギャアと啼きながら出て来るので逃げて来たという話を、私は西山の数人の老人から聞いた。彦四郎谷と言うのは昔彦四郎という名の武士が、編笠をかぶってチョウナとハツリを肩にしてその谷へ入り、出て来なくなったのだと言っている。

※ 私=武田明。


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#1115『東祖谷山村誌』 タキタ mail home3/3 23:43
#1004
『東祖谷山村誌』(編著者・東祖谷山村誌編集委員会、昭和53年発行)の「彦四郎谷」の項です。

西山の奥に彦四郎谷という名のおそろしい谷があるが、昔彦四郎という侍が編笠をかぶって、チョウナとハツリを肩にして、その谷へ入り出て来なくなってから、彦四郎谷とよぶようになったという。
彦四郎谷には近づいてはならぬことになっているが、もしうっかりしてその谷に近づくと、ケシボウズがたくさん出て来るという。ケシボウズは赤子の妖怪で、頭の上毛をおいて、下毛を剃っているそうな。これが
ギャアギャア
と啼きながらたくさん出て来るという。

※以上で全文です。
武田明さんが担当している民俗部分の記載です。