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□ 「夜行さま」は全国にいますか?・タキタ (9/11 18:11) #561
 ├ 柳田国男の「夜行さま」・タキタ (9/11 18:57) #562
 │├ (参考)柳田の「クビナシウマ」・タキタ (9/11 19:27) #563
 ││└ 切れた首はどこへ行ったか?・りん (9/11 20:38) #565
 ││ ├ うまのくぼ・タキタ (9/22 03:46) #578
 ││ └ 「首切れ馬」の盆踊り唄・タキタ (10/31 01:43) #659
 │├ 「土の鈴」の「夜行さま」?・タキタ (10/23 01:20) #630
 ││└ 「土の鈴」の「夜行さま」の姿・タキタ (10/23 03:24) #631
 ││ └ 「土の鈴」の「首切れ馬」・タキタ (10/25 18:59) #640
 ││  ├ 「首切れ馬」は「夜行様」?・タキタ (10/30 01:09) #656
 ││  └ 「土の鈴」の魔除け・他・タキタ (10/30 03:01) #657
 ││   └ 履き物を頭に乗せる・タキタ (11/7 01:29) #690
 │├ また出た武田明のヤギョウサン・タキタ (11/5 01:27) #681
 │├ 「夜行さま」対策 ・タキタ (11/7 00:24) #688
 │├ 「夜行さま」対策・タキタ (11/7 01:05) #689
 │└ 「やげんさん」・タキタ (11/10 22:39) #720
 │ └ 親切な「やぎゅうさん」・タキタ (11/11 02:26) #722
 ├ 高知県、福井県など・りん (9/11 20:00) #564
 │├ 「ガ行さん」(徳島県神山町)・タキタ (9/12 03:09) #569
 │└ 徳島県那賀川の例・タキタ (9/17 03:05) #572
 └ 「夜行さま」の絵ありますか?・タキタ (9/15 00:17) #570


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#561「夜行さま」は全国にいますか?タキタ mail home9/11 18:11

● 9月10日、コンビニエンス店に行ったら『水木しげるの妖怪百物語(日本編)』があったのですが、表紙に「夜行様(やぎょうさま)」がデーンと載っていました。文中の説明だと、徳島県の妖怪とありますが、こんなに有名な妖怪が「こなきじじい」以外にも徳島にいたのだろうか? というよりも、徳島県にしか居ない妖怪なのだろうか? いやいあ、そんなことはあるまい! そういう訳で、全国の「夜行さま」の伝承があると推測するので、教えてください。水木さんが参考にしたのは、柳田国男の『妖怪名彙』の記載です。柳田記載の出典元は「民間伝承」の武田明の徳島県の山城谷村(現・地名は未確認)での取材と、『土の鈴』(11号)なのですが、『土の鈴』を私は未見です。

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#562柳田国男の「夜行さま」タキタ mail home9/11 18:57
#561
柳田国男の『妖怪名彙(6)』(「民間伝承」昭和14年3月号所載)には次のようにあります。
●ヤギヤウサン
「阿波の夜行様といふ鬼の話は民間伝承にも出て居る(3巻2号)。節分の晩に来る髭の生えた一つ目の鬼といひ、今は嚇されるのは小児だけになつたが、以前は節分・大晦日・庚申の夜の外に、夜行日といふ日があつて夜行さんが、首の切れた馬に乗つて道路を徘徊した。これに出逢ふと投げられ又は蹴殺される。草履を頭に載せて地に伏して居ればよいといつて居た(土の鈴11号)。夜行日は拾芥抄に百鬼夜行日とあるのがそれであらう。正月は子の日、二月は午の日、三月は巳の日と、月によつて日が定まつて居た。」
●「節分」(武田明、「民間伝承」昭和12年10月=第3巻第2号)
「阿波三好郡山城谷村、政友では、節分の夜はヤギョウサンが来ると云ふ。片目で髭の生えた鬼だと云ひお采の事を云つてゐると毛の生えた手を出すと云ふ」

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#563(参考)柳田の「クビナシウマ」タキタ mail home9/11 19:27
#562
●「妖怪名彙(6)」(「民間伝承」昭和14年3月号)
「クビナシウマ」「首無し馬の出て来ると謂つた地方は越前の福井にあり、又壹岐島にも首切れ馬が出た。四国でも阿波ばかりでなくそちこちに出る。神様が乗つて、又は馬だけで、又は首の方ばかり飛まはるといふ話もある。」

夜行さまと関係あるのでしょうか? 乗り物の話ですから、パターン化したというか、通俗的なカスタム・デザイン仕様ですが……




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#565切れた首はどこへ行ったか?りん mail 9/11 20:38
#563
●タキタさんのレスにあった「妖怪名彙」の引用、「(前略)首の方ばかり飛まはるといふ話もある。」についてフォローします。

 さて、切れた首はどこへ行ったか?
 岡山県あたりに来てるんですねー、ってこれはジョークだけど。

●こんな話があります。

 ○サガリ
 長浜村粟利郷青年倶楽部丿東ヲサガリト云イ馬の首ガサガル。

 ○サガリ
 国塩荒神様丿大榎ニモ馬丿首ガサガル。

 共に岡山県邑久郡(そうそう、牛鬼の出た邑久郡です)の例です。
 ちなみに、この二つの「サガリ」情報が、柳田國男「妖怪名彙」の「サガリ」の項の元ネタになっています。これは「ツルベオトシ」等の垂下・垂直運動型の妖怪の仲間ですね。

 出典:時実黙水 1930「邑久郡東部の土俗資料」
           (『岡山文化資料』第2巻第6号)

●「夜行さま」との関連もさることながら、馬の首だけ、とか首が無い馬って、何となく犠牲の儀礼を連想させます。
 昔は水神に馬を捧げたなんてのがありましたよね。あと考古学で扱われる祭祀遺物の「土馬」とか。これも水辺での祭祀に関係していたはずです。(でも、「土馬」には首あるか・・・)

●「馬の目玉」という妖怪もこの類なのかな、と思っているのですが・・・。
 阿部正路『日本の妖怪たち』(1981 東京書籍刊)の「妖怪地図」に名前だけのってて、すごく気になります。
 どなたか「馬の目玉」の話をご存知ないですか?

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#578うまのくぼタキタ mail home9/22 03:46
#565
『本朝食鑑』(人見必大、元禄年間刊)には、「紫貝」の項があります。

●「紫貝」
昔は宇万乃久保(うまのくぼ)と訓(よ)んだ。今は子安貝(こやすがい)という。

まさか、子安貝の妖怪話でもあって、庶民には理解できなく「馬の首」になったのではないのかなあと、妄想をたくましくしています。
不味くて食べられないとあります。貝殻が安産のお守りです。
カンボジアのメコン川河口地帯(現在ではベトナム南部になっている地帯)等には50センチくらいの大きなものが居て盃盤にすると『本草綱目』には記載されていると『本朝食鑑』は記述しています。

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#659「首切れ馬」の盆踊り唄タキタ mail home10/31 01:43
#565
りんさんおひさしぶりです。

『阿波伝説集』は、横山春陽が昭和6年に発行したものですが、その中に、「首切れ馬」を歌詞に読み込んだ盆踊りの歌があると紹介しています。
「ドラえもん」音頭ならともかく「首切れ馬」音頭だとすれば怖いと思うのですが、さて現在も残っているのかどうか?

「鴻江淵の大蛇」の項に、「袖が嶽のお姫さん、首切れに馬打乗つて、鴻江淵に水浴びに。今も尚老爺がうたふ盆踊りの唄の文句である。もし丹生谷自動車に乗つて那賀郡桑野村を通過するならば北側の山の頂きに巍峨とそびえたる巨巌を見る事が出来るだろう。昔此の山の麓に鴻江淵と云う大きな淵があり」云々とあります。現在の阿南市桑野町です。

さて、妖怪としては、鴻江淵に竜宮城のような御殿があり、そこに一人で美しい姫が住んで居り、ときおり栗毛の馬に乗り淵で水馬すると噂がありました。その姫に思いを寄せる若者が屋敷を訪れ想いを告げるのですが、姫は返事もせずに馬に乗り淵に駆けてゆきます。こういうことが重なるうちに、若者は馬さえいなければと考え、去ろうとする馬上の姫の袖をつかみ馬に山刀をあびせ馬の首を切り落とします。 と、この瞬間に屋敷も消え失せます。
これ以降、鴻江淵には片袖の姫が首無し馬に乗って現われるようになり、それを見た人は大病にかかって死んでしまうそうです。詳細は割愛しますが、その淵の裏山を袖が嶽と呼びます。

とにかく、これも、「夜行様」とは無縁な「首切れ馬」伝承です。

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#630「土の鈴」の「夜行さま」?タキタ 10/23 01:20
#562
「土の鈴」(大正11年2月号)をみると、「首切れ馬」という項目がありました。記述者は、徳島県の名東郡国府町生まれで、大阪在住の後藤捷一氏です。
ところで、項目名が示すとおり、「夜行さん」というよりは「首切れ馬」がもっぱらです。
どうも、「首切れ馬」=「夜行さん」という前提で書いてあるのですが、馬上に「夜行さん」が乗った「夜行さん」についての具体的な記述がないので困ってしまいました。




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#631「土の鈴」の「夜行さま」の姿タキタ 10/23 03:24
#630
「やぎようさん」とは何であるかをと云うに、悪魔妖怪の王といふのみで、其形は伝はつては居らぬ。たゞ首切れ馬に乗つて居るのが夫れであると云はれて居る。

と、まあ、このように姿が描写されています。
現在の目が一つで角のある姿は、武田明の山城町政友での取材から柳田国男の『妖怪名彙』に転載されたものが、一般に普及したのでしょうか?

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#640「土の鈴」の「首切れ馬」タキタ mail home10/25 18:59
#631
「土の鈴」(大正11年2月号)の「首切れ馬の話」によると、阿波の国(徳島県)にはあまり他で聞かない伝説があるとして「首切れ馬」の話が紹介されている。これが、柳田国男の『妖怪名彙』の「ヤギヨウサン」の武田明記述からの引用以外の出典元である。
この大正時代の報告によると、後藤氏の知ったかぎりでは一市十郡に「首切れ馬」の伝承があるという。
普通一般には「やぎょうにち」の夜に、首の切れた馬に「やぎようさん」が乗って徘徊する。その鈴の音がジャンジャンと明瞭に聞こえるという。「『やぎようさん』とは何であるかと云うに、悪魔妖怪の王といふのみで、其形は伝わつては居らぬ。ただ首切れ馬に乗つて居るのが夫れであると云はれて居る。」とある。
出没理由は一〜二の話以外は語られていない。
●馬は、「首の無い馬」と「切れた首だけで胴の無い馬」がある。普通は一頭で出るが、稀には七匹列を作るとか無数の群れを成して出るともいう。
馬の鈴は、「ジャンジャン」が多いが、「ジャンガラジャン」「チャンチャン」「カシャカシャ、カチカチ」等もある。また、クツワの音で「チャンチキ、チャンチキ」と響くとも言われるとある。
●「此馬の出る時日は前記のやぎようにちの他、晦日、大晦日、節分、庚申さんの晩などゝいはれて居るが、また地方によつては単に雨夜などの陰気な時に出るといはれる。」※地方とは市町村の意味です。
●出没地は「各地夫々まちまちで」「長者屋敷から」「社寺の境内から」「薮の中から」「古墳塚から」「「山から」「野中の燈篭から」等。「大抵途中立寄る場所は名の知れぬ祠のある所か、古墳墓、船戸神社、或は辻の地蔵堂などである。又稍々町づくつた地方へ行くと丁字路や十字路に出現すると伝へられて居る。」
「やぎようにちに出る首切れ馬にはやぎようさんが乗つて居るものと決まつて居るが、夫れ以外に出るものは馬のみのもあり、之に人の乗つたのもあり、稀には馬に持物のあるのもある。」
馬上の人物の例としては、「六部」「土御門上皇」「一宮成祐」等がある。
※土御門上皇は、元・第83代天皇。16歳で退位。 一宮成祐は、名東郡一宮城の城主、天正10年に長曽我部元親に欺かれ殺害された。

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#656「首切れ馬」は「夜行様」?タキタ mail home10/30 01:09
#640
●柳田国男さんの『妖怪名彙』の「夜行様」を、その出典元からみていると、どうも「首切れ馬」と「夜行様」が、ごちゃ混ぜになってしまっているようです。姿形は、武田明さんの取材の「片目で髭の生えた鬼だと云ひ」「毛の生えた手」という「節分の夜」「来る」存在からのもので、「土の鈴」の後藤捷一さんの「首切れ馬」には「其形は伝はつて居らぬ」とあります。
しかし『妖怪名彙』では武田明さんの報告の現・山城町政友での姿しか引用されていないから、後藤報告の「其形は伝はつて居らぬ」というのは、読者は知るすべもありません。ですから、「夜行様」というのは一つ目の髭のある鬼で手に毛が生えているものが首切れ馬に乗って徘徊し、出合った者を投げ飛ばしたり、蹴り殺す。ついでには、草履を頭に乗せて地に伏せると助かるという魔除け方法があると「認識」(?)してしまうのですが、『妖怪名彙』の記述は、要約間違いの文章のようです。
● 仮に、他の多くの学者諸氏や著述家の妖怪辞典の類が『妖怪名彙』からの引用や孫引きでしかなかったら、柳田誤解のままの「夜行様」像が蔓延していることになりそうです。
徳島県でも、「我が家の近所には『首切れ馬』が昔は出て居ったらしい」と、祖父から聞かされた孫側が、妖怪辞典で読んだ知識で「我が家の近所には『夜行様』が出ていたと祖父に教わった」と、その妖怪を「夜行様」と判断している例がありました。しかし、孫に問うと、祖父は「首切れ馬」と言ったのであり「夜行様」とは一言も言っていないと言う。
こうして「首切れ馬」が「夜行様」だと、名称が(悪意や意図が無く)変わって記憶(認識?)されるのです。
徳島県内の町村の伝承集をみると「夜行様」に無縁な「首切れ馬」もあります。したがって今後は、各種妖怪辞典の影響で「首切れ馬」がすべて「夜行様」という名に(意図無く)変更されていくのかなとも思います。

他妖怪で傍証を一つあげるならば、徳島の那賀川町の赤池の河童は、現在では河童と表現されますが、寛政期(1789〜1801年)の『阿州奇事雑話』では「赤池河太郎」つまり妖怪名が「河太郎」と表記されています。しかし、昭和5年の『阿波伝説読本』や昭和6年の『阿波伝説集』では同話の妖怪名は「河童」となっています。この約130年ほどの間に名称が変化したようです。
このように、「首切れ馬」も「夜行様」に変化しそうです。 100年後の伝承集が楽しみです。







お、恐れ多い! 重箱の隅つつきだ!とは、思います。
しかし、いわゆる『妖怪名彙』以前の文献に「夜行様」というキャラクターがあるのだろうか? たとえば、「夜行様」そのものの江戸時代の絵って、ないのだろうか? つまり、後藤・武田・柳田により大正末から昭和初期に全国デビューした妖怪なのだろうか?




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#657「土の鈴」の魔除け・他タキタ mail home10/30 03:01
#640
●「土の鈴」の「首切れ馬」の後藤氏の報告によると、対「夜行様」の魔除けとして、出合ってしまった場合には「草履を脱ぎ頭上に載(乗)せ道傍に伏して居ると、その前を行過ぎたが」云々とあるので、柳田さんも、ほぼ同様な意味で『妖怪名彙』に引用している。
しかし、後藤氏の報告では、「阿波では怪物に逢つた時には履物を頭に頂くと難を免れると信じられて居る」とあるので、対「夜行様」専用の魔除けではないようです。さらに、他県でも効果があるのかは不明ですから要注意です。徳島県においてすら、効果があったとは後藤氏も断定していません。
この例は、後藤氏が子供のころに氏の家に出入りしていた魚の行商人の嘉吉という人から聞いた彼の実体験によるものです。草履を脱ぎ頭上に乗せ道傍に伏して居ると、その前を行過ぎたが、その前を通りすぎたものを闇に透かして見ると首の無い馬であり(つまり、馬上に何も乗っていなかったようです)、彼は近所の家を叩き起して朝までその家に篭ったとあります。(名東郡国府町矢野の例)
●ここに紹介されているうちの「出逢うた人の実話」では、他には、
名西郡高川原では、出逢って気絶したというもの。板野郡大山村では、「首切れ馬」に出逢い追いかけられ背に食つかれたが綿入れの厚い衣服だったので助かったという例。名東郡八幡村の人が徳島からの帰りに「やぎようさん」に溝の中に投げ込まれた例。名西郡高原村の人が、ジャンジャンという音に追いかけられて自宅に逃げ帰り篭ったが、雨戸にドンと行き当たって去ったという例を報告している。というふうな形をとっています。
●ところで、「土の鈴」の、この後藤報告には、「夜行様」または「首切れ馬」に逢うと「蹴殺される」という記述がありません。「蹴殺される」という『妖怪名彙』の説明はどこからきているのでしょうか?

●この「首切れ馬の話」は、「首切れ馬」について記述しており、普通一般には夜行日に首の切れた馬に夜行さんが乗って徘徊するとは書いてあるものの、伝承分布地一覧は「首切れ馬」のもので「夜行様」分布とはしていません。
また、「実例五則」として伝承が要約紹介されています。しかし、次のようなものです。
@美馬郡岩倉村大龍の、強盗に首を切られた馬が大晦日に首切れ馬のみで出現する。
A徳島市岡本町の、雨降りの夜にでるらしい首切れ馬(首だけが出没するらしい)。
B那賀郡桑野村に京都からきた公卿の姫と家来と馬が住んでいたが、強盗に皆殺され、その命日の大晦日に怪火の行列と首切れ馬に乗った姫が山を下り、新野村重友まで行く。
C那賀郡見能林村答島の津の峰山麓に(湿った日に)六部の乗った首切れ馬がでる。六部の乗った馬を切った祟りと伝わる。
D名東郡国府町矢野に「お馬の墓」という小さな石標があり信仰を集めているが、雨の夜には、ここから首切れ馬が出て一定の地を徘徊する。

●結局、具体的には、「出逢うた人の実話」の、名東郡八幡村の人が徳島からの帰りに「やぎようさん」に溝の中に投げ込まれた例しか「夜行様」と断定できる話はないのです。

困った困った。

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#690履き物を頭に乗せるタキタ mail home11/7 01:29
#657
市原麟一郎の『語りによる日本の民話・阿波池田の民話』(国土社・1987)によりますと、頭に履き物を乗せて魔物から逃れる解説がありました。徳島県三好郡池田町の例です。
「天狗と飛脚」によると、次のようにあります。

「外道におうた(会った)時は、降参のしるしにわらじをぬいでかぶりゃええ」という年よりの話を思い出して、ほんで(それで)笠をかぶるように、自分のわらじをぬいで、頭にきせた(被った)らしい。

※ 「外道(げどう)」というのは魔物のことです。マドウという表記もあります。

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#681また出た武田明のヤギョウサンタキタ mail home11/5 01:27
#562
●『日本昔話記録H徳島県井内谷昔話集』(編著者・武田明、昭和48年、三省堂)に、「ヤギョウサン」が載っていました。今度は、三好郡井川町井内谷の「ヤギョウサン」です。ただし、話にタイトルはありません。

節分にはイサミをつけた馬に乗ってヤギョウサンがやって来ると言う。
イサミとは馬につけた鈴のことで、チリンチリンと音を立てながら来るそうな。そこで家々では柊(ひらぎらぎ)の枝で箸をこしらえて、この日は麦飯のオセチを食べることになっている。この箸をネジキバシまたはメツキバシとも言う。ヤギョウサンとは首切れ馬のことで一種の妖怪である。柊の木のことをメツキシバとも言うが、メツキシバにみかん皮をさして戸口にさす家もあると言う。また節分の日はオセチを炊く時にクドの下でメツキシバをくすぶらせることもあるそうである。この日は竿を炊くこともあったが、はじけて大きい音が出ると鬼はその音を聞いて逃げるとも言っている。

●以上は、よくは判らない文章です。
ヤギョウサンが馬に乗ってやってくると指摘した後で、ヤギョウサンとは首切れ馬のこととしているが、すると最後の竿竹のはじける音で苦逃げる鬼との関係はどうなるのだろうか?
自明の理のように書かれているが、読者には判らない。
首の無い馬に乗った鬼をヤギョウサンといった風に大慌てで斜め読みすればイメージできるが、そういう意味で記載してあるのだろうか?
困った困った。

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#688「夜行さま」対策 タキタ mail home11/7 00:24
#562
「夜行さん」対策が二つ見つかりました。
徳島県麻植郡山川町八幡の例です。
○八幡(集落名です

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#689「夜行さま」対策タキタ mail home11/7 01:05
#562
『麻植の伝説』(1999年発行)で、「夜行さま」対策が二つ見つかりました。
徳島県麻植郡の例です。

●山川町
八幡(集落名です)は、山から吉野川へ夜行さんが抜ける唯一の道です。夜行さんは首無し馬に乗って毎月の末日の夜にジャンゴジャンゴと鈴を振って通って行ったそうです。この八幡のある家が道沿いに便所を作ったところ、その臭気に苦しんで(夜行さんが)逃げてしまったので、それからは夜行さん除けにどの家も道沿いに便所を建てるようになったそうです。(「改定・山川町史」より)
※ 夜行さんが通る「唯一の道」と地元で言われる道は、他の町村にもあります。

●川島町
三つ島渡から南に通じる道は「ごじゅんけい道路」と呼ばれます。この道には、昔、戦死した武士といわれる夜行さんがよく出たそうです。大の月の晦(こもり)と小の月の朔(ついたち)の夜更けに、白い着物を着て白い首切れ馬に乗った一隊が、ジャンゴジャンゴと鈴を鳴らしながら南の山から吉野川を一気に駆け抜けて北の山に消えて行くのだそうです。それで「ジャンゴハン」という名でも恐れられています。
いつのころか、順慶坊という山伏が三つ島に来て、村人が安心してこの道を通れるようにと、吉野川の南岸に地蔵を立てて夜行さんを封じ込めたそうです。それで夜行さんの通らなくなった道を「ごじゅんけい道路」と人々が呼ぶようになったと伝わっています。現在も堤防下にこの地蔵はあります。(地蔵の写真は『麻植の伝説』118ページ)

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#720「やげんさん」タキタ mail home11/10 22:39
#562
怖い「夜行さん」ばかり書き込んでいると、徳島県の人々が哀しみそうなので、明るい話を書き込みます。
ある人が「『夜行さん』を徳島県の観光化に活用しよう!」と言ったのですが、首の無い馬の像は怖いから立てたくないです。もっと抽象的な妖怪なら理解不能で怖くないのでしょうけど。

さて、徳島県三好郡池田町白地の「やげんさん」の話です。
大晦日の晩、「やげんさん」が片目の馬をつれて山の峰を通っていきますが、馬には銭を積んであるのでジャランジャランと音がします。
その「やげんさん」に頼めば銭をくれるのです。
そこで、ある人が「千両くれ」と言うと、千両くれたのですが、帰ってきて見ると一文銭だったそうです。
ところで、「やげんさん」の出る晩には、どんなに不味い物でも機嫌を悪くせずに食べれば「やげんさん」が良いものをくれると伝わっています。ですから、「やげんさん」の出る夜には、「今晩は食べ物に文句を言ってはいけない」と親が子供に言い聞かせていたものです。

※「やげんさん」は大晦日から正月にかけて徘徊する歳神であると、この話を取材した市原麟一郎氏は解説しています。『語りによる日本の民話・阿波池田の民話』(1987、国土社)より。


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#722親切な「やぎゅうさん」タキタ mail home11/11 02:26
#720
またまた、明るい話題です。
徳島県三好郡池田町漆川の話です。

昔は、大晦日の夜には、一晩中、火を焚いて、火種をたやさなくしていたようです。(注1)
ところが、ある庄屋の家で、奉公人の女性が食べ物の始末などをしている最中にうっかり火を消してしまったのです。
困った奉公人は、どうしていいものか外に出てうろたえましたが、向こうに明かりが見える。
そこで奉公人は、火種でも持っていないかと、その方に走って行き、事情を話して火種を分けてもらったそうです。
この奉公人が孝行で正直なつとめをしていたので、「やぎゅうさん」(注2)が火をつけてくれて助けてくれたらしい。
こうして、庄屋さんの家は火を消さずにすんだということです。

(注1)この描写は、多少おかしい。というのは、今日とは違い、マッチも無い、火打ち石(および火打ち金)で着火していた時代には、半永久的に家庭では火が消されずにかまどやいろりに「炉」の形で火種が残されているからです。
この「炉」状態で残っている火種に藁束などを加えて火吹き竹などで風をおこし炎に毎朝変えるのです。したがって、大晦日だけということは常識的には考えられない。
「炉」とは、炎を無くして火種だけにして保存することで、「懐炉(かいろ)」や「蚊取り線香」の炎の無い火を連想してもらえれば理解しやすいでしょう。
たとえば、現代でも、オリンピックの場合、ギリシャで着火された聖火は、航空機の中では「懐炉」の火種状にして運ばれます。「炉」です。これを各国でガスなどに点火して炎にもどすのです。
かまどやいろりも、炎が無くなっても火種を灰の下に残せます。これが「炉」です。
ところで、こういう火種から毎朝、炎にすることが一般的なのですが、逆に考えれば、めったに、火打ち石で着火しないということです。旅先にタバコを持っていく人でもなければ、火打ち石で着火したことが無い人も多かったでしょう。したがって、この奉公人も台所にあるはずの火打ち石で火がおこせるという発想が無かったのだと思います。

(注2)「やぎゅう」は、大晦日から正月にかけて徘徊する歳の神と、この話を取材した市原麟一郎氏は指摘する。『語りによる日本の民話・阿波池田の民話』(1987、国土社)

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#564高知県、福井県などりん mail 9/11 20:00
#561
●高知県の「ヤギョウ」は『土佐の妖怪』に記載があります。続編の『土佐の怪談』にもでてますよ。両者は語り口が違うだけで、ほぼ同内容ですけど。
 高知の城下で毎年の大晦日の夜ふけ、「ヤギョウ」というものが通る。「ヤギョウ」とは首の無い馬に人が乗ったり、首の無い人が馬に乗ったりしたモノで、見てはいけないものとされているそうです。タブーを犯して覗き見した人には祟りがあります。同書で紹介されている祟りは、怪談話のオチとしてよくできているので、ここではバラさないでおきます。

 出典: 市原麟一郎 1977 『土佐の妖怪 土佐お化け話1』 一声社
          1981 『土佐の怪談 土佐お化け話2』 一声社


●福井県にはこんな話があるそうです。
 旧暦の四月二十四日の「柴田忌」の丑三つ頃、福井城下を「首なし武者行列」が通る。これを見ることはタブーとされており、もし見ようものなら祟りで呪い殺されるといいます。
 特定の夜に現れる事、首無し、覗き見の禁止など共通する要素が含まれていることから、おそらく「夜行さま」のバリエーションのひとつだろうと思います。

 出典:青園謙三郎 1981「首なし武者行列」(『歴史と旅』1981年6月号)

●「夜行さま」の御先祖であらせられる「百鬼夜行」については、以下の文献がおススメです。「夜行さま」の系譜が、平安時代まで遡れることがわかります。
 また、夜行日が陰陽道起源であること等も述べられています。
 
 参考: 田中貴子 1994 『百鬼夜行の見える都市』 新曜社

●「夜行日は拾芥抄に百鬼夜行日とあるのがそれであらう。正月は子の日、二月は午の日、三月は巳の日と、月によつて日が定まつて居た。」って、残りの月は何時が夜行日なのだろう? 
 心配で夜遊びに行けないじゃないか(笑)。
 乞う! 陰陽師さんからのご教示。

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#569「ガ行さん」(徳島県神山町)タキタ mail home9/12 03:09
#564
● 市原麟一郎さんは、徳島県の三好郡の池田町の伝承集も出してくれています。山城町の上名の伝承も載っているのですが、残念ながら「こなきじじい」伝承は取材されてはいませんでしたが、池田町の伝承の「やぎょうさん」は取材されています。

● ところで、徳島県の名西郡の神山町神領には、「ガ行さん」という話がありました。(『神領村誌』昭和35年発行より)
「夜行さん」が「ガ行さん」と変化したと推測します。

(1)旧暦の大の月のこもりの晩は、外で馬の「くつわ」のジャンジャン鳴る音がしても、絶対に見たり、のぞいてはいけないと云われている。一宮長門守の亡霊が首切れ馬に乗って高根参りをするのだそうである。(谷地方の伝説)
(2)阿川久保の内の若い衆が大勢よって髪を結って貰い先にすんだ者が大埜地の酒屋へ酒を買いにくることになって、夜おそく日浦のカサ仏の近くまでくると、ジャンジャンと馬のくつわの音がするのでびっくりして傍の草むらに身をかくすと、馬上から「こゝに二ノ宮さんがおいでる」と声がして通った。そこで帰って調べてみると、今ゆった髪のもとどりを結んだ紙が、二宮神社の御札であったとのことである。


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#572徳島県那賀川の例タキタ mail home9/17 03:05
#564
「やぎょうの晩の魔」
徳島県那賀郡上那賀町での那賀川の例

旧暦で大の月の晦、若しくは小の月の朔には、夜川へ魚を捕りに行くことを、一般に恐れる風習がある。この晩には川を魔が通るという。だから、たいていは、いかに釣好きでもこの晩は川に足を向けるなといわれている。もし不注意にもこの晩に川へ行き、釣をしたり、網を打つものがあれば必ず何かの異変に逢う、終夜して遂に一匹も釣れなかったり、あるいは手ごたえが強く上げてみれば一片の木の葉であったり、大漁と思って帰ってみると、魚籠の中はちりやごそ(ごみ?)で埋まっていたりする。そのほか昼間、川が浅瀬であった所が晩には人の背が没するほどの淵になっていたりすることは珍しくないことである。このことは昔から村の全ての人が信じていたようである。現在では、このような伝説でさえ消えさろうとしている。
(『上那賀町誌』昭和57年より、ほぼ全文)


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#570「夜行さま」の絵ありますか?タキタ mail home9/15 00:17
#561
妖怪「夜行さん」の絵って、あるのでしょうか?
つまり、水木しげるさんの現代絵画ではなく、古典絵画の方です。
100年後には水木さんの絵も古典になるのですが、私たちには同時代的すぎるのです。大好きですが……