児啼爺(こなきじじい)
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妖火 児啼爺(こなきじじい) 妖火

 水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』であまりにも有名な「こなきじじい」。多くの文献で“徳島県の妖怪”とされているが、実はその地に「こなきじじい」の伝承はなかったのだ!
 
 以下の資料は、この矛盾を地道なフィールドワークによって解き明かした多喜田氏の労によるものである。ある限定された地域で配布しているというものだが、このような貴重な資料を埋もれさせてはイケナイと、同氏に転載を願い出たところ快諾いただき、またわざわざ加筆くださいました。
 同氏の素晴らしい探求心に拍手。そして感謝。




『 阿波の妖怪・こなきじじい報告』

1999(平成11)年12月3日
多喜田昌裕(たきた・まさひろ)




<徳島山中にいる「子啼き爺」という赤ん坊の妖怪は、それを抱くと岩のように重くなるといわれる>(『百鬼解読』多田克己、講談社1999年刊より)
<児啼爺・泣いている赤ん坊を抱き上げると石になる・昔、阿波(徳島県)の山奥にいたといわれる妖怪。>(『水木しげるの妖怪百物語』二見書房1999年刊よ
り)


 徳島の妖怪「子泣き爺」
 徳島県に隠れた有名人が居ます。それは、テレビアニメ等の『ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる原作)に登場する正義の妖怪「子泣きじじい」です。
 40歳代以下の人々ならば誰でも名だけは知っている妖怪です。
 「子泣きじじい」は、主人公の鬼太郎が単独で立ち向かうことが困難な強力な悪役妖怪が登場したときには必ず救援に「砂かけばばあ」などと駆けつけ、敵に
しがみつき石に変身して相手を押しつぶします。
 ところで、冒頭の『百鬼解読』等以外にも、水木しげるさんの妖怪図鑑(たとえば岩波新書の『妖怪画談』)や子供向けの妖怪図鑑や大人向けの学術書にも、「子泣きじじい」は徳島県の山中に居る妖怪と紹介されています。
 しかし、徳島県のほとんどの人は、このことを知りません。徳島県の七不思議の一つです。(他の六つは各自で探してください)

 柳田国男が出典元
 『ゲゲゲの鬼太郎』の作者の水木しげるさんに「子泣きじじい」のことを質問してみました。すると、「(子泣きじじいは)柳田国男さんの本の記述からのインスピレーションでデザインしたものです。柳田さんの記述以外には何も参考にしていません」という回答です。つまり、金太郎の腹掛けを着け、蓑(みの)を着けて、杖とデンデン太鼓を持っているあの有名なスタイルは水木さんのオリジナルデザインだったのです。
 柳田国男さんは、日本の民俗学の父と呼ばれ、全国の民間の習俗や伝承を広く調査した人です。
 柳田さんが民俗学研究誌「民間伝承」(昭和13年6月号)に発表した『妖怪名彙』(ようかいめいい)に「子泣きじじい」は載っていました。

 コナキヂヂ
 阿波の山分の村々で、山奥に居るといふ怪。形は爺だといふが赤兒の啼聲をする。或は赤兒の形に化けて山中で啼いてゐるともいふのはこしらへ話らしい。人が哀れに思つて抱上げると俄かに重く放さうとしてもしがみ付いて離れず、しまひにはその人の命を取るなどと、ウブメやウバリオンと近い話になつて居る。木屋平の村でゴギャ啼キが來るといつて子供を嚇すのも、この兒啼爺のことをいふらしい。ゴギャゴギャと啼いて山中をうろつく一本足の怪物といひ、又この物が啼くと地震があるともいふ。

 したがって、水木さんの「子泣きじじい」の体重の表記や、石に変身するというのは、水木さんの創作です。
 とにかく、日本を代表する学者の皆さんも柳田記述を引用しています。「子泣きじじい」の記載された資料は、『妖怪名彙』しか存在していなかったのです。

 木屋平村に行ってみると
 『妖怪名彙』では、「子泣きじじい」の伝承地は「徳島県の山分(さんぶん=山間部という徳島方言)の村々で山奥に居るという」となりますが、山分というのは広範囲すぎます。
 そこで木屋平村を訪れてみました。ここの「ゴギャナキ」が「子泣きじじい」のことらしいからです。
 しかし、木屋平村には「子泣きじじい」伝承はありませんでした。また、「ゴギャナキ」についても、木屋平村では「そりゃあ、オンギャ泣キのことじゃ」と言われました、現地では「オンギャナキ」とか「オギャナキ」と呼ばれている妖怪でした。また、木屋平村では赤ん坊の泣き声は「オギャー、オギャー」と表現します。「ゴギャー、ゴギャー」という表記は無いのです。さらに一本足の妖怪ではありませんでした。
 いったい柳田さんは、だれから「ゴギャナキ」を取材したのか? 疑問です。

 図書館で調べる
 徳島県立図書館で調べると、徳島県のあちこちに「オギャナキ」伝承があることが判ります。その多くは山の中で赤ん坊の声がするが姿が無いというものでしたが、なかには「おんぶしてくれ」としゃべって、赤子や子供の大きさの妖怪が山の中で出現するというものもあります。しかし、これを背負うとしだいに重くなるので背負ってはいけないと伝わっています。
 しかし、「子泣きじじい」という名の妖怪伝承はどこにも書かれていません。

 だから徳島では忘却
 この間、東京の学者の皆さんにも、「子泣きじじい」の調査への協力を要請したのですが、はかばかしい返事がありませんでした。東京では、徳島県に「子泣きじじい」伝承が残っていると決めてかかっていたので調査をおこなっていなかったのです。
 ところで、徳島県の40歳代半ば以下の年齢層の人々は、子供のころにはクラスの誰かが買った妖怪図鑑や雑誌の妖怪特集記事で「子泣きじじい」が徳島県の妖怪であるということを知っていたのです。しかし、親や祖父母に聞いて知らない言う、学校の先生も知らないと言う、徳島県の伝説の本をみても「子泣きじじい」が登場しない。こういう体験を通じて、「子泣きじじい」が徳島の妖怪であるという記事を読んだという記憶を、忘却するのが、昭和41年の『ゲゲゲの鬼太郎』への「子泣きじじい」登場以来の徳島少年のパターンです。

 武田明の「コナキジジ」
 平成11年5月、「子泣きじじい」の手がかりがインターネット「妖怪世界」に流れました。民俗学の専門家はお手上げでしたが、アマチュアの人々は調査をしたのです。専門外の「りん」さんというペンネームの人からの回答です。
 「りん」さんは、柳田国男さんが『妖怪名彙』で「子泣きじじい」の発表した昭和13年6月号ではなく、11月号の「民間伝承」に伝承地名が載っているのを見つけたのです。
 11月号には、香川県の民俗学者で柳田門下の武田明さんが「山村語彙」というものを発表していていました。

「山村語彙」
「阿波三好郡三名村字平での聴書」
「コナキジジ 子供の啼聲を眞似る怪。」

 武田さんは、以上のように記述してありました。
 この地名は、現在の「徳島県三好郡山城町上名平」です。「かんみょう・たいら」と読みます。

 コナキジジイを再発見
 武田明さんは平成4年にお亡くなりになっていますので、インタビューをこころみることができません。そこで山城町の上名平に直接出向きました。
 山城町上名の伝承を調査していた人も幾人かいたのですが、それらの方々の出版された伝承集にも「子泣きじじい」は登場していません。
 記載されていない場合には、その理由の可能性は二つあります。
 一つには、妖怪伝承のほとんどは「○○山に○○という妖怪が居た。以上、おしまい!」という存在理由も物語も無いものが多いのです。このために、取材しても伝承集には掲載しなかったという場合があります。
 もう一つは、取材を受けた人がその妖怪伝承を知らなかったので取材できていない場合です。こういうことはよくあります。と、言いますのは、物語があるものや、すでに郷土誌などで活字になっているものは村でも多くの人が知ることになるのですが、そうではない場合には、村全体の伝承になってはいない。村どころか一集落全体のものにもなっておらず、その集落の数軒の家や数人にしか記憶されていないという場合もあります。
 幸い、今回は、何度か現地を訪問したことで、かろうじて一人だけから「子泣きじじい」を取材することができました。
 上名平の平田五郎さん(昭和4年生まれ)によりますと、上名平の「コナキジジイ」は、昭和十年頃には、駄々をこねて子供が泣いていると年長者から「コナキジジイが『泣く子を欲しい』と連れに来る!」とか「コナキジジイが(今日)山に居った!」というおどし文句に使われていたそうです。その話から推定すると上名平の北側のあざみ峠周辺に「子泣きじじい」は居たということになります。
 平田さんは、当時叱られた側です。「子泣きじじい」は、また「子泣きじいさん」とも表現されていたと言います。
 なお、平田さんは、耳で聞かされただけでしたので、長年、「子泣き」では無く「子無き爺」だと思っていたと言います。子供を欲しがる存在だからです。
 また、平田さんは、武田記述のような赤ん坊や子供の声で泣く妖怪であるとは聞かされてはいませんでした。武田明さん等が取材した昭和初期には「子泣きじじい」を子供の声を真似る妖怪と語れる人も上名平にはいたのでしょう。
 こうして、平成11年9月5日、長年の謎であった「子泣きじじい」は再発掘され、インターネット等を通じて全国に報告されました。

 子泣きじじいの正体は?
 平田さんは、「子泣きじじい」のことを祖父の妹さん(明治初年代生まれ)から聞かされたといいます。
 ところで、この、まるで猪が山で目撃されるように「(今日)山に居った!」とされた「子泣きじじい」の正体は何なのでしょうか? 祖父の妹さんも実在している妖怪とは考えてはいなかったようです。
 泣き声は、「オギャナキ」の調査では、そのほとんどが鳥の鳴き声であるというのが山間部各地での意見でした。「子泣きじじい」の声も同様と考えられます。
 「オギャナキ」の姿形は、赤ん坊の泣き声そっくりの鳥の声からの連想で赤子や子供の妖怪像が想像されたようです。
 しかし、山城町上名平の「子泣きじじい」は男性老人姿です。このモデルは何なのか? また、何故、ここでは「子泣きじじい」と呼ばれたのか?
 これについては、未確認情報ですが、大正時代に、とても赤ん坊の泣き声の真似の上手な男性高齢者が居て、山仕事で鍛えた健脚で、高齢でありながらも広範囲な山歩きを四国山中で行っていたという目撃談もあります。この実在した男性と、妖怪「オギャナキ」伝承を混同して、柳田さんに誰かが話したか、柳田さんが聞き間違えたのではないかと推測をする人も居ます。
 この高齢者を上名平で目撃したのか、噂で知っていたのか? 平田さんの祖父の妹さんの言う「子泣きじじい」にも採用されていた可能性があります。
 「形は爺だといふが赤兒の啼聲をする。或は赤兒の形に化けて山中で啼いてゐるともいふのはこしらへ話らしい」という表現は、そもそも、妖怪話は、いちいち「ことわり」を入れなくとも、全てが「こしらへ話」だから奇妙です。柳田さんも「子泣きじじい」を実在する「男性高齢者」ととらえていたのでしょうか?

 今後に情報が徳島県の各地から寄せられることに期待します。  (タキタ)



 妖怪「オギャナキ」伝承例
 昔、山仕事を終えて夕方に帰ろうとすると、赤ん坊姿のオギャナキが出て来て「おんぶして!」と言う。しかし、背負うと次第に重くなり潰されてしまう。だから、「負い縄(背負い縄)の左右の長さが違うので背負えない」と騙して逃げ帰って来なくてはいけないと伝わっている。(木沢村岩倉や東祖谷山村など)



 「妖怪世界」転載への、おまけ
 「ゴギャナキ」は、三好郡山城町上名六呂木と山城町岩戸で、再発掘できました。
 山城町岩戸では、「ゴギャナキ」という妖怪の伝承を伝える明治30年代生まれの女性によると、「ゴギャナキ」のことを「オギャナキ」とも呼ぶと言います。また、山城町岩戸での人間の赤ん坊の泣き声は「オギャー、オギャー」ですが、妖怪「ゴギャナキ」と妖怪「オギャナキ」の泣き声は「ゴギャー、ゴギャー」でした。上名六呂木でも子供の声は「オギャー」ですが、妖怪「ゴギャナキ」は「ギャッ!」というすさまじい声で泣きます。
 ともに、子供への叱り文句に使用されていました。夜更かしをしたり駄々をこねて泣いていると、父母や祖父母から「ゴギャナキが来る!」などと子供は叱られたのです。この二例の「ゴギャナキ」には姿形の方は伝わっていません。山城町岩戸の例は昭和40年代初頭にも使用されていました。
 山城町岩戸の「ゴギャナキ」は山城町教育委員会の発掘成果です。

(文責:多喜田昌裕/カメヤマ)

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・ 出現地区:四国地方,徳島県
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2000.7.21 22:42