泥田坊(どろたぼう)
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妖火 泥田坊(どろたぼう) 妖火

 泥田坊は、米所である北国(北陸地方か?)に現れたと云われている妖怪である。

 貧しい農夫が荒れ地を耕し、労を惜しまず一所懸命働き、甲斐あって米が収穫出來るまでになった。それから年々収穫が増え、人並みに暮らせるようになりつつあったが病に倒れ、これからと云うときに死んでしまう。
 農夫には子供があったが親に似ず横着者で、折角拓いた田畑を放り出し、遊んで暮らしていた爲、遂にはそれを手放さなくてはならなくなった。
 その田畑を手に入れた地主は「いい田が手に入った」と喜び、或る夜その田を見廻っていると、突然泥濘から一つ目三つ指で色の黒い老人が現れ「田をかえせ〜、田をかえせ〜」と叫んだという。
 それから月夜の晩になると、このような恨めし気な叫び声が聽こえるようになり、それは「田を戻して欲しい」「田を耕して欲しい」と云う意味が込められているのだろう。そして何時しか<泥田坊>と呼ばれるようになった。

 妖怪大鑑プロジェクトの一員であるイーノ氏は、一つ目三つ指に着目して更にこう云う。

 一つ目には諸説有り。
1:生前の農夫が元々そうであったから
2:欠けた身体は異形や神の聖なる痕の象徴として考えられた
3:鍛冶の神に天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)が居ることから推測されるように、このようなモノが時代を経るうちに山の神・田の神などに変化。近世では妖怪の部類に零落し、一つ目小僧・一つ目僧侶・蛇の目小僧等々に表わされた。
 三つ指は、五本の指・・智恵・慈悲・瞋恚(しんい)・貧どん・愚痴・・のうち、智恵と慈悲の二本を失い鬼と化したことを暗示しています。土地に執着した幽鬼と云う意味かも分かりません。
 上記のような 諸説が發生の現象に合わさって、あの様な形態になったのでしょうか。一つ目は分かりますが、となると何故、働き者の農夫は鬼になったのか?
 智恵と慈悲――。
 子供のことを放ったらかして田畑を耕す人間だったからなのか。それとも子供のことを考えてあげられる程度の余裕すら無い暮らしだったのか。田畑を拓く苦労や甲斐を子供に教えることは出來なかったのか。

 却説、妖怪研究家の多田克己氏は『怪』第参号(角川書店)で、<泥田坊>の音の響き、また漢字分解しそれぞれの意味から出自を辿っている。注目すべきは、農夫が住んでいたと云われる北国。江戸時代に北国と云えば(江戸城の北にあった)遊郭・新吉原の異称であったらしい。石燕は故事「吉原者なら吉原者のやうに、どろ田を棒な事ばかり、申ているが能さそふなものを」から引用したのではないか、と問うている。「どろ田を棒」は「泥田を棒で打つ」の事か。
 妖怪ミステリ作家の京極夏彦氏はこれを受け、「紀州藩御殿医に品川玄瑚がおり、狂歌師の雅号で[泥田坊夢成]を名乗っているが、吉原遊郭で身持ちを崩し、モデルにされたのでは」と返している。

(文責:カメヤマ/イーノ)

・ 参考文献:今昔百鬼拾遺
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2000.7.21 22:41